IDペンダントについて
IDペンダントとは?
IDペンダントとは、名前と血液型を刻み込んだ金属製の小さなプレートにチェーンを通し、首から下げられるようにしたものです。
災害や事件・事故に遭遇して、意識不明の状態になってしまった場合に、他の人に血液型を伝える役割を果たします。
そのため、血液型だけでなく、アレルギーの有無なども刻むこともあり、氏名に加えて住所や電話番号も記載することもあります。
氏名や血液型をはじめとする情報を書いた紙を巻いて、ゴムパッキンがついていて密閉できる金属製カプセルに入れ、
これを首から下げられるようにしたものがありますが、これも広い意味ではIDペンダントといえます。
金属カプセルタイプには、他の人の注意をひくためのホイッスルが付いたものもあります。
首から下げるペンダント型ではなく、キーリングやカラビナが付いたタイプもあります。
ただ、これもチェーンをかければ首から下げられますので、こちらも広い意味でのIDペンダントといえるでしょう。
IDペンダントのルーツ ――認識票
IDペンダントの祖先は、昔から世界各国の軍隊で使用されている「認識票」です。
欧米の戦争映画やドラマなどで見たことがあるのではないでしょうか。
歴史上、最初の認識票は、1870年にはじまった普仏戦争のためにプロイセン軍が導入したものです。
楕円形の金属プレートの長径軸にミシン目状の切り込みがあり、その上下に兵士の所属部隊や氏名が刻み込まれていて、その兵士が戦死したときに、
金属プレートを半分に割って片方を戦死報告用として持ち帰り、もう片方は遺体の回収時に本人確認するために残しておく、という方式でした。
ちょうどその当時、プロイセンの首都ベルリンでは、犬の管理のために首輪につける鑑札が導入されていました。
それにたとえて、兵士たちは認識票を、自嘲気味に「Hundemarken (犬用鑑札)」と呼びました。
アメリカ軍でも、スラングとして認識票を「Dog tag」と呼ぶことがあります。これはドイツ語の Hundemarken の英訳です。
現在のIDペンダントにつながる形式の認識票は、どちらかというとアメリカ軍のものです。
「どちらかというと」というのは、プロイセン軍の割り符型とは異なり、アメリカ軍では同じ内容を刻んだ2枚の金属プレートを首に下げ、
やはり1枚を戦死報告用、もう1枚を判別用に遺体に残す方式でしたが、IDペンダントは戦死報告する意味はないので1枚だけだからです。
プレートに何を記載するかは国によってさまざまですが、氏名、生年月日、性別、血液型、所属軍または国籍、所属部隊、認識番号、信仰する宗教などが
刻み込まれます。
ちなみに、旧帝国陸軍にも一応は認識票がありました。
ただ、欧米諸国のものとはちがって、ただの番号札でした。
兵士が戦死すると、生き残った兵士がその番号札を持って帰り、部隊名簿に照らし合わせて誰が戦死したか確認する、という方式です。
さらに、太平洋戦争の頃になると、部隊の離散や全滅が圧倒的に増えてきて、認識票の意味はほとんどなくなります。
結局、番号札すら使われなくなり、生き残った兵士の証言くらいしか戦死の確認を行う術がなかったようです。全滅や玉砕は、全員戦死扱いとしました。
確認が十分にできなかったので、戦争が終わったあとで、戦死したはずの人が生きて帰ってきたという話がいっぱいあります。
その一方で、東南アジアなどの戦地で骨となって見つかった旧日本軍兵士の身元が、ほとんどの場合まったくわからないという残念な現実もあります。
ところで、現代の自衛隊にも認識票はあります。アメリカ軍の方式にならった2枚式で、
自衛隊の種類(陸上自衛隊は JAPAN GSDF、海上自衛隊は JAPAN MSDF、航空自衛隊は JAPAN ASDF)、名、姓、認識番号、血液型が
すべてアルファベットと数字で打刻されています。
ただ、海上自衛隊と航空自衛隊の隊員は、認識票を常時身につける習慣はないそうです。
自衛隊の認識票には、一カ所欠けたような切り込みがあります。これは何のためかというと、殉職者の歯をこじ開けるためのものです。
このことは、認識票の様式を規定する規則にはっきり書かれています。
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